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大麻経験者が大麻の危険性を伝えるブログ

クリスチャニアへ行く デンマークのヒッピーコミューン

ヒッピーコミューンとは

ヒッピーコミューンとは、ヒッピーの集団居住区のことです。

欧州にはいくつかのヒッピーコミューンがあります。
その中で最大のものが、デンマークの首都コペンハーゲンにあるクリスチャニアとなります。

私はヒッピー精神をほとんど持ち合わせていないと思うのですが、バックパッカー精神を持ち合わせているつもりなので「一般的ではない」場所にしばしば引き寄せられます。

「欧州に住んでいるのだからクリスチャニアには行かねばならぬ。」
金閣を燃やした若僧ばりの使命感でデンマークへ向かいました。

コペンハーゲン

コペンハーゲンの空港に降り立ち、鉄道へ市内へ。
それまで写真でしか見たことのない、Theデンマーク的な機能性第一の、車両前面がゴムに囲われた鉄道に興奮しつつ、都心部へ移動します。

私の知るドイツのどの中央駅よりも濃い色のコペンハーゲン中央駅に到着し、AirBnBで手配した宿(個人宅)へ向かいます。

急な階段で4階まで登ると、20代の素敵な女性がお出迎え。
これからニューヨークに住むボーイフレンドの家に向けて旅立つとのこと。
コペンハーゲンに何しにきたのかよくわからない東洋人男性を自宅に残し、小さなスーツケースと共に颯爽と去っていきました。
実に可憐でした。

一事例からの感想に過ぎませんが、やはりユーラシア大陸越えの日-欧や、太平洋越えの日-米より、大西洋越えの欧-米のほうが障壁少なく、欧州社会にとってより身近なんだろうなと感じました。
また、そのようなタイミングで自分の部屋を貸す彼女の思考も、私にはない感覚であり、新鮮で面白いなぁと思いました。

部屋の雰囲気はまさに北欧でした。
もちろん、実生活が営まれている家なので、ホテルやラウンジのような造られた北欧テイストではなく、自然な北欧でした。
「自然な北欧」ってなんだよ、コペンハーゲンなんて北欧と中欧の中間だろってツッコミがあるかと思います。
私が住むドイツ南西部のカントリー感を薄めつつも、ゲルマン民族共通の、エッジが効いたガッチリした家の作りや家具のテイストは残しつつ、よりシックでシンプルな感じでした。
正直なところ、欧州の家屋、家具、調度品について学術的知見を有さないため、上記は相当適当な感覚論となります。

ただ、明確にわかることとしては、日本の20代女性の一人暮らしとは、全くテイストの異なる部屋の雰囲気です。
もし20代、30代の女性が北欧を旅する際には、ホテルではなく、同年代の女性の部屋を借りてみると面白いのではないでしょうか。
価値観の異なる世界で生きる同年代の世界観を、少しでも追体験出来るのではないでしょうか。

当時の私の欧州社会における肩書は「日本企業のドイツ駐在員」であり、AirBnBで知り合った彼女とは、性別も年齢も生きてきた環境もまったく異なり、重なり合う部分はほぼありません。
しかし、バックパッカー旅で安い宿を巡るのとはまた違った、現地で生きている人間の生活空間を体験できたのは、大変貴重でよい経験となりました。

コペンハーゲン市街へ

荷物を整理したのち、街の中心部へと向かいました。

今思えば、当時の私は大麻に取り憑かれて久しく、以前に比べてすさんだ感性になっていたと思います。
新しい街で新しい発見をしようとする、旅人としての純粋な気持ちが後退し、観光を楽しむ気力が結構失せていました。

コペンハーゲン名物のチボリ公園を素通りし、なんとなくコペンハーゲン市内を歩きました。

大麻に取り憑かれたバックパッカーあるあるとなりますが、どこへ行っても現地の名所を真剣に見ようとしなくなり、現地の価値観に対する敬意をあまり払わなくなります。
ただ無為に大麻の煙をふかし、まどろみの中でなんとなく街の雰囲気をつかむ傾向に陥りがちです。
当時の私も、そのような傾向にありました。

クリスチャニア

小雨の降るなか、寒い思いをしながらクリスチャニアを目指します。
欧州の長く寒い冬には慣れたつもりではありますが、旅先でもそれが続くとなかなか気分が晴れません。

クリスチャニアは市内中心部から東部に位置しており、徒歩で30~40分ほどかかります。 古い証券取引所の前を通過し、ひたすら歩きます。

ようやくクリスチャニア入り口に到着です。 公園の入り口のようなところから入場します。 まばらながらも、そこそこの人が歩いています。

そしてそのまま大麻マーケットへ直行します。

大麻マーケット

クリスチャニアは、ヒッピーコミューンとして、デンマーク内で一定の自治権を与えられています。 そのため、同地区内ではソフトドラッグである大麻の販売が容認されています。

中央集権が強い日本からすると、デンマーククリスチャニアの関係はなかなか想像しにくい社会構造となります。
欧州社会では、このような、「一律の政治統治」より「人間個人の自由」が勝ることが時折見られることがあり、日本社会に慣れた私にとって興味深く感じる点です。

クリスチャニアの一部エリアはドラッグマーケットとなっており、小さな屋台が複数並び、大麻が販売されています。

どの屋台も大体1-2名の店員がいて、小さなテーブルの上にガラス瓶に入れた大麻を数種類並べています。
ハローといって近づいていけば、蓋を開けて匂いを嗅がせてくれます。

ヨーロピアン社会のアングラ部という要素により、普通の日本人だと怖気付いて入るのを躊躇してしまうような場所&雰囲気ではあります。

もし私が、欧州在住で大麻を楽しんでおらず、純粋な日本から来た観光客であれば、怖気付いてしまったことでしょう。
しかし、ドイツやデンマークの社会はフラットであり、日本人でも気負いせずに通せる社会と私は感じています。
ハローと言って踏み込んでいけば、受け入れてくれます。

というようなことは一切関係なく、大麻というだけで私は喜んで屋台に近づき、おすすめ品種の匂いを嗅がせてもらっては、"Gut"などと言って、その非日常的でアンダーグラウンドな雰囲気を満喫しました。

そして、適当なバッズを購入し、マーケットを後にして、カフェエリアへ移動しました。
小雨で寒いのですが、プラスチックの簡易テーブルにつき、本当はジョイントを作って思いっきり吸い込みたいとこですが、ガンギまりした時のリスクも考慮して、電熱Vapeで少しづつ吸引。
しばらく肺に止め、吐き出す。
寒さで陽気な気持ちにはなりにくいですが、大麻成分が徐々に染み渡り、マイルドな気持ちが醸成されてきました。

結局大麻を吸うと、結局、多幸感に溢れて自然や音楽など原生的なものはなんでも素晴らしいという安直な結論になってしまうのですが、クリスチャニアもそういうことになりました。

ただ、アムステルダムの時のようにガンギマリして帰れなくなると困るので、現地では控え目にして、その後家に戻って楽しみました。

我ながらクソすぎる過ごし方と思いますが、今となっては良い思い出です。

これまでも何度も述べてきていますが、大麻には手を出すべきではありません。
一回の体験が忘れられなくなり、常用に至り、それまでの社会生活の維持が困難となります。

ただ、大麻は関係なく、クリスチャニアという存在は、訪問して体験してみるとよい場所と思います。
今回は大麻マーケットというクリスチャニアの一部についてしか記しませんでしたが、街全体はダークな場所では決してなく、皆自由にのんびりと過ごしている平和な雰囲気の漂う場所でした。

人魚姫像については割愛します。

おしまい

バックパッカーと大麻の関係

今でこそタイの観光地のいたるところで大麻ショップが存在しますが、ちょっと前まではアンダーグラウンドなものでした。

表立って目の前に現れることはないが、常に影を感じる存在、それがバックパッカー旅と大麻の関係性でした。

バックパッカーにとって大麻は身近な存在

バックパッカーのバイブル「深夜特急」にもハシシは登場し、東南アジアからインド・ネパール、コーカサスへと抜けるバックパッカーにとって、マリファナは身近な存在と言えましょう。

もちろんそれらの存在を一切知ることのない旅もあります。
不確実性を極力排除した、予めすべての工程が手配された旅行をしていれば、こちらから探しに行かない限り、彼らの存在に気がつくことはありません。

でも、そのような旅行とバックパッカーが求める旅は異なります。
宮台真司氏の言葉で言えば、不確実性の中で人間の動物的性能を試すのがバックパッカー旅の醍醐味と言えます。

そうした旅では、こちらはなにもしなくとも、大麻のほうから近づいてきます。
トゥクトゥク運転手、個人ボートの親父、すれ違いざまの物売りなどが、"Weed", "Ganja"と囁いてきます。

「ほらきたよ」

この不確実性の旅の中での定番性が面白おかしく、毎回内心笑ってしまいます。
ぼったくりと並んで、「バックパッカー旅だなぁ」と認知する瞬間の一つである。

しかし現代の若者に大麻は勧めない

私は若い人にバックパッカー旅を推奨しています。
不確実性の中で人言の動物的性能を試すという機会は、生涯にわたる思い出や自信を形成してくれます。
これまでは、もしその過程で大麻に出会うことがあれば、経験しても良いと思っていました。

しかしながら、今の時代において、これからバックパッカー旅を経験する若者に大麻は勧めません。
今や日本でもSNS経由で容易に大麻が入手できてしまうからです。
旅先でのいっときの思い出に留めることができず、帰国後常習者になり得る環境が十分整っています。
バックパッカー旅は素晴らしい体験を与えてくれますが、薬物には手を出さないように気をつけてください。

大麻は依存性が高くてやめられない

大麻はタバコに比べて依存性が低いので安全」という主張を時折見かけますが、私はそう思いません。

大麻は精神的な依存性が高く、入手障壁が低いため常用に陥りやすく、結果として今の社会生活を維持することが困難になりやすいと私は考えます。

自身の体験を踏まえた大麻のネガティブ面は以下に記しましたが、依存性という観点で改めて見解を述べたいと思います。

utagenoato.hatenablog.com

大麻の身体依存

薬物の依存性には「身体依存」と「精神依存」があります。
私個人の経験に基づいて言えば、大麻に関して身体的な依存性が高いと思う点はありませんでした。

薬物に対する身体依存の表れとして、禁断症状や離脱症状が存在します。
これらは、薬が切れた際に生じます。
例えば、アルコール中毒者の手の震えや、オピオイド等ヘロイン中毒者の苦しみが知られていると思います。
大麻は、アルコールやヘロイン等のハードドラッグに比べると身体依存性は低いと言われています。
私自身大麻を常用していましたが、大麻が切れたからといって、なんらかの離脱症状の経験はありませんでした。

その一方、大麻は精神依存が強く、危険と捉えています。

大麻の精神依存

ここでは、大麻経験者として、私個人の経験に基づく見解を記したいと思います。

話は少し逸れますが、薬物に関する科学的データを確認したい場合は、医療研究者や製薬会社のサイトを参考にされるのがよいと思います。医学的見地でフラットに記されています。
言うまでもありませんが、厚労省自治体の情報サイトは薬物禁止の啓蒙が目的となるため、デメリットに関する定性的で情緒な表現がメインとなっています。
一方、推進派のサイトは良い面の話しか載っていません。

話を戻します。

大麻は、精神依存を形成しうるに十分な多幸感を一度の経験で与えてくれます。

大麻の与える多幸感はハードドラッグ(未経験なので推測ですが)ほどではないにしろ、私にとっては十分過ぎるものであり、一度経験したら忘れられないものとなり、また経験したいと強く思うものでした。

大麻の利用による精神依存の流れは次のとおりです。

  1. 大麻の利用により、これまでにない多幸感を経験する
  2. 他の薬物に比べて大麻の入手障壁は低いため、再び経験しようとする
  3. 多幸感を得るために使用を重ねる
  4. 大麻使用時の多幸感に満ちた状態が、その人の人格において主役となっていく
  5. 一方、未使用時は相対的に精神状態が沈んだものとなっていく
  6. その結果、社会的な活動や関わりが面倒になり無気力状態が進行していく
  7. 「シラフの沈んだ気分の日常ではなく、大麻による多幸感に満ちた世界に早く戻りたい。大麻使用時の精神状態こそが自分の主体。」と考えるようになる

最終的には、いわゆる人格が薬物に支配された人間となります。
完全な精神依存状態です。

厚労省のサイトに書いてあるような、薬物利用による安直で胡散臭いPDCA図みたいなこと言ってんじゃないよ」と思われるかもしれませんが、薬物に手を出したら人生終わり的なボンチ絵は嘘ではなく、大枠では事実なのです。

勿論、このような依存に陥らないケースもありますが、自分は大丈夫というのは正常性バイアスでしかなく、大多数はダメになります。

薬物と手軽な付き合いなどない

最初は、パーティードラッグ的な位置付けで、ちょっとしたリクリエーションとして楽しめばいいと、誰しも思うかもしれません。
しかしながら、薬物の魅力は、人間の意志を遥かに凌駕するものです。

薬物汚染が深刻な米国&ハードドラッグの例になりますが、フィラデルフィアのゾンビ状態の人々も、オピオイド中毒の人も、そうなりたくてなっているわけではありません。
薬物の与える多幸感に勝ちうる意志はなかなか存在しません。

大麻はソフトドラッグだから大丈夫と思うのは非常に危険です。
自身の経験に戻りますが、大麻であっても薬物中心の生活に陥ってしまいます。

大麻で得られる多幸感はすばらしいものだと今でも思いますが、ハードドラッグに比べて入手障壁が低い分、常習に陥りやすいです。
そして「人格破壊」とまではいかなくとも、「使用時の精神状態の正当化」、「未使用時の相対的な無気力感」、「それに伴う社会性の低下」へと続き、それまでの社会生活の継続を困難にしていきます。

仮に、欧州などに存在するヒッピーコミューンで自営的で気ままな生活スタイルを送るのであれば大麻との両立は可能と思います。
しかし、日本の社会システムの中ですでに何らかの社会的役割を担っている我々にとって、大麻の使用はその維持を困難とするものになります。

既定の社会生活を送る人にとって、大麻に手を出してマイナス面よりプラス面が勝ることはありません。
自分は大丈夫、薬物と気軽な付き合いが成立すると思ってはいけません。

「ダメ絶対」なんて、大麻の素晴らしさを知らない輩が盲信的に言っているだけのあまちゃんな標語と思っていましたが、大麻であっても中毒レベルまで経験してみると、「やっぱり薬物には絶対手を出してはダメだな」と本気で思うようになります。

皆さんは安易な気持ちで大麻に手を出さないように気をつけてくださいね。

アムステルダムのコーヒーショップの利用方法

大した知見はありませんが、アムステルダムのコーヒーショップについてHow toをまとめてみました。

コーヒーショップとは

大麻を販売する喫茶店です。
オランダ国内では、軽度な大麻の所有・利用が非犯罪化されており、自治体の認可を得た"coffeeshop"で販売されています。

アムステルダム大麻に関する規制

アムステルダムでの規制は次の通りです。

  • 大麻は5gまで保有可能
  • コーヒーショップで1日に購入できる大麻の上限は5gまで
  • 18歳以上が購入可能
  • 公共の場での喫煙は禁止

大麻に関する規制は州や都市によって異なります。
特に、国境沿いの都市では、周辺国からのドラッグツーリズムを阻止するため、オランダ国民のみに販売を許可したりしています。

コーヒーショップの場所

アムステルダムの市内にたくさんあります。
特に、観光客が訪れる中心部に集中しています。

カフェとの見分け方ですが、

  • 店頭に緑と白の台紙にcoffeeshopと記されたライセンスステッカーが貼られている
  • 明らかに大麻臭い
  • 外装が少し怪しい、やれている
  • 客層がスタバとは異なる

等があげられます。

アムステルダムの中心部であるred light district(飾り窓地区界隈)を歩いていればすぐに見つけられます。

利用方法

なんら特殊なことはなく、カウンターで注文するだけです。
店外での広告は禁じられているので、カウンターテーブル上や、カウンター頭上のメニューを見て注文します。

主なメニュー

Weed

乾燥大麻です。
大麻草の穂の部分を乾燥させたものです。

購入後、適量をちぎってグラインダー(クラッシャー)に投入し、細かく砕いて使用します。
様々な銘柄があります。
アムスであれば、まずはWhite Widowでしょうか。

Hash

大麻樹脂です。
上記の乾燥大麻から抽出される成分を固めたものです。
weedに比べ、携帯性に優れます。

村上龍の「限りなく透明に近いブルー」に「ハシシ」として登場します。

Pre rolled / Joints

細かく砕いた乾燥大麻をタバコ紙で巻いたものです。
タバコ同様に、そのまま火をつけて吸引できます。

私が初めてアムステルダムに訪れた時は、グラインダーもたばこ紙も持っていなかったので、ジョイントを購入しました。

気をつけること

Bad Tripに注意

前回の記事で記しましたが、初めて大麻を吸う場合はバッドトリップに陥る可能性があります。
バッドトリップに陥ると、最悪の場合、警察のお世話になったり、運河に落ちて死ぬことになります。

バッドトリップで危険なことは、負の思考ループに陥ることです。
「この苦しい状態が一生続くのではないか」、「このまま心臓が止まって死ぬのではないか」等のネガティブな思考が脳内の全てを支配し、自分自身に対する客観的な認知ができなくなります。
こうした状態はバッドトリップの一種であるということを事前に理解しておくことで、ある程度緩和することができます。

基本的にバッドに陥らないためには、頼れる経験者と行ったり、効かないと思って短時間に吸い込みすぎないように注意したり、バッドトリップになってもパニックにならないように事前知識をつけておくことが大事です。

こうならないように

utagenoato.hatenablog.com

参考サイト

https://www.amsterdam.info/coffeeshops/ コーヒーショップのみならず、アムステルダム観光の基本がまとまっているサイトです

https://www.anzen.mofa.go.jp/c_info/oshirase_yakubutsuchuui.html 外務省の注意喚起です

なお、私の住んでいたところからアムスは遠いので、もっと近くのVenloを度々訪問していました。

Venloについてはまたいつか記したいと思います。

初めての大麻で最悪のバッドトリップ アムスでGo

初めての大麻でバッドを経験

アムステルダムのコーヒーショップで初めて大麻を吸い、キマりすぎてBadになり、店員に助けを求め、死にそうになりながらアムステルダムの町を彷徨った。

あれほどキツい経験をしたのは人生で初めてであった。 自戒の念を込めて、振り返りたい。

アムステルダムへ向かう

ドイツの自宅から、車でアムステルダムへと向かった。
アウトバーンを延々と進み、9時間弱で到着。
長旅だったが、車窓は終始美しい田園風景であった。
アムステルダム中央駅前の地下駐車場に車を停め、ホテルへと向かう。

アムスはホテルが狭くて高い

アムステルダムは世界的な観光都市であり、宿泊費は安くない。
たった三畳間の広さにベッドとシャワーを無理やり詰め込んだだけの簡素で窮屈な部屋で150ユーロ。安くはないなと思った。

受付で鍵をもらって部屋に入り、簡単に荷解きをすると、早速街に繰り出した。

アムステルダムの街

現在は閉鎖してしまったが、以前はアムステルダムのcoffe shop情報をまとめた「アムスでGo」という素敵なサイトがあった。
このサイトで事前リサーチした情報を元に、アムステルダムの街を徘徊した。

スマホ普及以前からの習慣で、旅行で初めての場所を訪れる際には、事前に地図を熟読し、主要な観光スポットや宿の場所を頭に入れる。
そして実際に街を歩き回って体で覚えるようにしていた。
今回もアムステルダムの街を相当歩き回り、地理感をほぼ習得した。
この習慣が後々身を助けることとなる。

アムステルダムの中心部は、平行に張り巡らされた運河によって方角が掴みやすく、なおかつ空がひらけているので開放感がある。

歩道が整備されている&車の侵入が少なく、歩行者にとって歩きやすい。
主要スポットも中心部に集中しており、旅行者にとってとても優しい街だ。
このわかりやすい街の造りも、後の災難を軽減してくれる要素となる。

コーヒーショップに踏み込む

コーヒーショップは至る所にあるが、中心部の店舗はヨーロピアンなカップルで賑わっており、初心者である東洋人が単身で踏み込むには抵抗感がある雰囲気であった。

今思えば、初めてなのだからジョイントをテイクアウトしてホテルで窓を開けてこっそり吸えば良いものの(どこも禁煙だが)、当時はなぜかその発想がなく、コーヒーショップ内のテーブルで優雅にプカプカとふかすことしか考えていなかった。
つまり、その程度のゆるい効能としか想像していなかったのだ。

街歩きを続けていくと、中心部から少し離れたところに、私にとって良さげな(=そんなに賑わっていない)コーヒーショップを見つけた。

3 floors coffeeshop

1階は販売カウンターのみで、ラウンジは2階以上にあるようだ。
ハローと言って入店し、カウンターのマスターの前に立つ。

メニュー表を見ながら、「初めてなんだけどどれがいいですか」と素直に聞く。
メニューの一番上の「White Widowがいんじゃない」と言われ、ジョイントを1本購入。500円ほど。

ここでホテルに戻ればよかったのだが、そんな発想は毛頭なく、奥の階段で2階へ。
数人の客がいた。
せっかくだからもっと上に行ってみようと思い、狭く急な階段で3階へ。
客は数組。
大麻の煙で視界が霞む紫煙の世界だ。

左手前のソファ席に座ることにする。
綺麗すぎず、汚すぎず、店内は窓からの明かりのみで薄暗く、枯れた雰囲気の落ち着く空間だ。

周りを観察

いきなりジョイントには手を出さず、まずは当時吸っていたMarlboro Lightに火を付ける。
タバコを吸いながら気を落ち着けていると、隣の席に地元の若者らしい3人組がやってきた。

しばし、彼らを観察する。
私のように既製品のジョイントではなく、緑の乾燥大麻草そのものを購入していた。
持参の容器(クラッシャー)に適量をちぎって投入すると、コリコリゴリゴリと回し始めた。
蓋を開け、粉々になった大麻をタバコの紙に適量乗せ、くるくると巻き、舌で紙を濡らして閉じると、綺麗なジョイントが出来上がった。
そしてさっと火をつけ、くゆらせている。

慣れたものだなぁと感心した。

いざWeed

いよいよ私自身も覚悟を決め、キャップからジョイントを取り出す。
青臭いツンとした匂いを嗅ぐ。これが大麻か。
口に咥え、ライターで火を付ける。

いきなり吸い込むとむせやすいとの情報がインターネット上にあったので、慎重に吸う。
どこまで肺に入れていいのかわからないので、まずは口の中に留める。
タバコとは異なる、独特な香りだ。

次に、少し肺に入れてみる。
ツーンとした刺激を伴う吸引体験である。
すぐに吐き出し、しばらく様子を見る。
特に変化はない。

そしていよいよ、ネットの情報にあった、正しい大麻の吸い方を実践してみる。
「しばらく肺の中に煙を留める行為」に挑戦だ。

火のついたジョイントを勢いよく肺まで吸い込み、しばらく息を止める。
そして、吐き出す。
大麻の成分を最大限吸収する行為だ。

煙を吐き出したのち、しばらくソファに保たれていたが、特に変化が起きない。
私にはあんまり効かないのかな、と思いつつ、ジョイントを吸い、息を止め、吐き出す。

そんなことを繰り返しているうちに、突然、その時はやってきた。

初めての大麻でガンギマリ

突然意識が狂い始めたことに気がついた。
穏やかな移行ではなく、いきなり別次元へのテレポーテーションだった。

天井付近に設置されたTVの映像がぐるぐると周りだした。
耳に入ってくる環境音を処理できなくなり、無音状態となった。
そして、自意識が全面に押し出てきた。
無意識状態がなくなり、自分自身の一挙手一投足に意識が向くようになった。
ずっと内面と向かい合う状態となった。

訳がわからない状態になり、精神的に少しパニック状態となった。
落ち着こうという判断から、テーブル上のコーラを飲もうと思った。
しかし、手が全く動かない。手ばかりか、体の全てが動かない。
ただじっと座っているだけの状態である。

コーラを飲むんだ、コーラを飲むんだ、コーラに手を伸ばせ、手を伸ばせ、と自分の体に命令し、右手に最大限の意識を注ぐことで、なんとか手が動き始め、コーラの缶を手に持つことができた。
同様に、口まで運ぶのも至難であった。

症状はどんどん進む。
もう何もできない。
自分の心臓の動きが気になり始める。
鼓動音が異常に速く感じる。
鼓動が気になってしょうがない。
鼓動のことしか考えられなくなってきた。
あまりの鼓動の速さに、止まってしまうのではないかという恐怖感も出てきた。

気がつくと、思考がループしている。
ずっと同じことを考え、何も前に進まない。
ループしていることに気がついているだけマシな気がしたが、どうにもならない。

目を開ければ、モニターの映像がぐるぐる回り始める。
目を閉じレバ、心臓音が気になり、止まってしまうのではないかという恐怖の虜になる。
助けを求めようにも、体が全く動かず、声も出ず、何もできない。

はたから見れば、微動だにせず、ただソファにじっと座っているだけの東洋人でしかないだろう。
しかし、当人は、死の恐怖と闘っているのだ。
自意識が、頭の中をぐるぐると回っているのだ。

助けを求める

しばらくすると、向かいの席に店員と思われる男性が座っていることに気がついた。
この期に及んでまで、羞恥心により助けを求めることにためらいがあった。
自分の中でのしばしの押し問答の後、羞恥心による死より、生が大事だという結論になった。

しかし、体が動かない。
立ち上がることは全くもって不可能だし、声も出ない。
手を上げようにも、やはりダメだ。
目でhelpの合図を送ろうにも、そんな眼力はない。
何もできず、苦しい時間が過ぎていく。

体系的な思考がうまくできない。
どうやって助けを求めるか、途切れ途切れながらも方法を考える。
そして「エックス作戦」を考え抜き、実行にうつした。

まず、相手を見続け、目が合うまで待ち続ける。
そしてついに、向こうと目があった。

すかさず、右手と左手に全神経を集中させ、超スローペースながらも、両腕を顔の前まで持ち上げる。
幸い、相手はこっちを見続けている。
そして、よれよれの両手で、X(エックス)のポーズを取った。
私はバツだ。バツなのだ。助けてくれ。

このポーズが通じるかどうかを考える余地はなかった。
その時の私には、これが最善のSOS信号だったのだ。

店員に救出される

エックスポーズが効いたのか、ただならぬ雰囲気を感じたのか、いずれにせよ店員は、東洋人の謎の動きに気がつき、彼の元に駆け寄り、キマリすぎたことを理解し、手を引いて立ち上がらせた。
そして急で狭い階段を、引っ張りつつ支えながら降ろしていく。
当人は、必死の形相かつ足取りで、一歩一歩進んでいく。

なんとか1階まで降りてきた。
マスターは外の空気を吸えと言い、ジュースを餞別にくれた。

店の外に出た私は、理性にフルコミットする決意をした。
ここで座り込んではおしまいだ。歩いて歩いて、ホテルまで行かねばならぬ。
生きてホテルまで帰るのだ。

ホテルを目指す

店を出て、右足、左足、右足、左足というように、それぞれの足に意識をむけ、一歩一歩進んでいく。
しかし、足を動かしているときは、足のことしか考えられず、自分が今何をしようとしているのかを忘れてしまう。

「ホテルに向かって歩くのだ。」
自分に言い聞かせ、歩く。

店を出て10メートルほどで、最初の難関がやってきた。信号だ。
足だけに向けていた意識を、視界にも向けなければいけない。
信号を認識し、止まったはいいが、そこで思考が停止してしまった。
しばらく、無意に立ち続ける。
なんでここに立っていたのかを忘れ、じっとして過ごす。

しばらくした後、信号が視界に入り、信号待ちをしていたことを思い出す。
アムステルダムの歩行者信号はせっかちだ。
青から赤までの時間が異常に短い。
青を認識し、足を踏み出すまでの間に、赤になってしまう。

何もできず、信号の前で立ち続ける。
何回か信号を見送った後、覚悟を決め、全力を搾り出す。
目で信号を見て、青を認識することに努め、足を前に出す。
他の歩行者の歩く様を真似て、自分も歩く。
なんとか、渡り切ることができた。
信号を渡れたことが奇跡のように感じた。

その後は、マイケルジャクソンのSmooth Criminalくらいの前傾姿勢になりながら、歩道を前へ前へと進んでいく。
自分的には45度くらい傾斜している認識だ。
勢いだけで前に進んでいる状態だ。
完全にイってしまった人だ。

ベンチの誘惑

途中、素敵なベンチを見つける。
座っては絶対ダメなのに、座ってしまった。

ベンチで気持ちを落ち着けようとするが、ガンギマリ状態から全く変化がない。
座ってしまったことで、コーヒショップ同様に、次のアクションが何もできない状態となってしまった。
隣のベンチには、若き女性2人が座っており、おしゃべりをしていた。
一方私は、微動だにせず、じっとし続ける。

これまでは歩くことだけに力を注いていたが、これからは、ホテルの方向を意識して歩かなければならない。
歩くことで精一杯なのに、視界から入ってくる街の景観情報を脳で処理し、現在地点を頭の中の地図情報と照らし合わせながら行動しなければならない。
非常に難易度の高い行為である。
絶望的な状態だ。

どれくらいたったのだろう。
いつのまにか隣の女性たちはいなくなっていた。
立つんだ、立つんだ、立つんだと言い聞かせ、なんとか立ち上がった。
そして再びマイケルジャクソンばりの前傾姿勢で歩き始めた。

進み続ける。
ひたすら進み続ける。

車があまり入り込まず、歩道が整備されているのが幸いだ。
少しづつ、少しづつ、ホテルへと近づいていく。

最後の関門

錯乱した脳であっても、ホテルの場所が確信できる場所にまで辿りつくことができた。
しかし、最後の関門がある。
ホテルのカウンターで、鍵を受け取らなければならない。
私の止まっていたホテルはカード式ではなく、昔ながらのキーホルダー付きのキーであった。
そのため、外出時にはカウンターに預ける必要がある。

脳が錯乱状態でありながらも、カウンターの人に対して、自分の部屋番号を伝えて鍵を受け取らなければならない。
ホテルが近づいてくると、私はこのやりとりのシミュレーションに注力した。
"Hi, My room number is 306"を、何度も何度も声に出す。
口が硬直してうまく声が出ない。
ついでに精神的な疲労により失神しそうになってきた。

ホテルに到着した。 練習通り、カウンターで"Hi, my room number is 306"と伝えた。
もちろん、相手の目をちゃんと見ながら、平然を装ったつもりだ。
受付の女性はハイよという感じでさっと鍵を出してくれた。
無関心さがありがたかった。

そのままエレベーターに突撃し、3Fを押す。
私の視野はどんどん狭まり、一点だけを見て行動するようになっていた。
エレベーターのドアが開き、降りる。
すると、掃除機の蛇腹が廊下に這っていた。
私は廊下になんかあるなくらいの認識で、勢いよく、ピョーンとジャンプをした。
ハウスキーパーのOh!という言葉が聞こえた気がする。

ついに自分の部屋のドアが見えた。
鍵穴に鍵を突っ込み、ぐりぐりして開け、部屋に入った。
ベッドに倒れ込む前に、水を飲んでおかねばという冷静?な考えがよぎり、水道水をコップでごくごく飲み、ベッドに倒れ込んだ。
ついに帰ってこれたという多大な達成感に包まれていた。

一方、心拍はどくどくと激しく、自分はこのまま死んでしまうのではないか。
そして、意識を失った。

目覚め

3時間後、目を覚ました。
まだ酩酊感が残っていたが、従来の精神状態に戻っていた。
凄まじい体験だったなと、過去のこととして認識できる余裕が生まれていた。

外は暗くなりかけていた。
朝からほとんど食事をしていなかったことを思い出し、外へ食事へと向かうことにした。

誰もいない運河沿いを歩いていると、陽気にキマった奴がハイタッチしてきた。

素晴らしい街だと思った。

大麻に手を出してはいけない

大麻により日大アメフト部が廃部となり、肯定・否定意見が見られます。また、大麻グミが社会問題となっています。
その中で私が気になるものとして、「大麻は安全」という論調があります。
大麻常習者だった私の意見としては、「大麻は非常に危険」であり、日本国における扱いを緩和することに強く反対の考えを持っています。

一度大麻に手を出して、そこで得られる多幸感を経験してしまうと、次を欲します。
大麻が容易に入手できる環境であれば、大麻中心の生活になっていくのに時間はかかりません。

自身の体験に基づき、なぜ大麻に手を出してはいけないと考えるのかについて記したいと思います。

私と大麻

いずれ回顧録を記したいと思いますが、簡単に述べると、仕事で欧州に住んでいた時にアムステルダムのコーヒーショップで大麻を経験して魅了され、常習するようになり、やがて大麻中心の生活となり、日本への帰国という環境変化を期に辞めました。

大麻の効能

一般的に次のようなことが言われています。

  • 聴覚が敏感になり、音楽にのめり込める
  • 味覚が敏感になり、何を食べても美味しい
  • 性行為が最高に気持ち良い などなど

私の感覚としても、これらは事実です。
総じて言うと、大麻吸引により「多幸感に包まれた最高の気分」になります。

Love & Peaceな気分になる

ヒッピー文化と大麻が切り離せない理由も、大麻を体験すると即座に分かります。
まさに「Love & Peace」の気分になるのです。
大麻を経験するまでは「Love & Peaceなどという抽象概念は愚昧」と考えていましたが、経験後は、大麻から得られる多幸感や落ち着きをうまく表現した言葉であることがわかりました。

ここらへんをいくら言葉で説明しても、概念と実体験に大幅なギャップがあるので、理解は難しいことと思います。
スカイダイビングの醍醐味をいくら緻密に説明できたとしても、実体験をしていない相手に追体験させることはできません。

もし体験談に興味がある方は、「マリファナ青春旅行」が文学としてもお面白いのでおすすめです。
ただ、これら体験者の言葉に興味を持つこと自体が、大麻の入り口に立っていることのメタ認知が必要と思います。

素晴らしい体験と捉える

私も使用当初は「なんて素晴らしい体験なんだ」、「こんなすごい体験は他の何事でも得られない」、「こんな体験を知らない人生は損だ」と思い、「誰しも一度は体験してその素晴らしさを知るべきだ」と思っていました。

そこまで素晴らしいと思うということは、やめられなくなることを意味します。
もし、上記効能の通り素晴らしい要素だけならば、あえてやめる必要はないでしょう。

しかしながら、上記効能は良い面だけを記したものです。
「個人の社会性に与える影響」という観点で捉えた場合、大麻のネガティブ面が勝ります。

効能の実態

普段は理性を中心とした精神領域が常時活動し、身体的機能の監視及びコントールを行っていますが、大麻摂取によりそれら機能が低下します。
そのため、視覚、聴覚、味覚などの身体的感覚が鋭くなったと感じます。

正常時のように身の回り全てに意識を払うことができなくなり、特定の意識への集中型となります。
例えば食事においては、味わうことに全身全霊が集中します。
そのため、とてつもなく美味しく感じます。いわゆるマンチー状態です。

肯定表現であれば「過集中を通じて物事にのめり込むことができる」と言えます。
この状態になることは、悪いこととは思いません。

私が問題と感じる点は、大麻摂取により、これまで当然のようにこなしてきた社会的活動を維持することが困難となる点です。

仕事との両立は困難となる

社会人を例とした場合、社会的活動の大部分は仕事となります。
その仕事において、大麻を摂取した状態での業務遂行が困難となります。

自分自身の行動に対するメタ認知ができなくなり、自分が何をしているのかわからなくなります。
また、時間の流れが掴めなくなるため、複数のプロセスを伴う作業が困難になります。

単能工は業務遂行できる可能性はあると思いますが、多能工ではほぼ不可能となります。
ブルー/ホワイト関係なく、現在多くの日本人が従事している労働の大部分は多能工的要素を含みます。
そのため、大麻を摂取した状態では、多くの人々にとって業務遂行が困難となります。

レクリエーション利用でも社会性が失われていく

上記の通り、労働の性質と大麻の効能は合いません。
そのため、労働による対価を収入源とする多くの人々にとっては、大麻はレクリエーションの位置付けになります。

しかしながら、息抜きのつもりで始めたものが、その多大なる魅力により、仕事以外の時間は全て大麻を吸って過ごすようになります。
その結果、仕事以外の時間は知的生産・消費活動が困難となり、退廃的な生活スタイルへと移行していきます。

端的に述べれば、「味の濃いものを食べながら、youtubeを延々と見続けて、最後はオナニーして寝るだけの生活」になります。 そして仕事もサボるようになります。

文字面だけ見ると「そんなの普通じゃん!」と思われるかもしれませんが、状況に対する肯定感が異なります。
収入を得るだけの仕事はなんとかこなし、それ以外の時間は全て大麻を吸って現実逃避となるのです。
側から見れば現実逃避なのですが、本人はそう思いません。
大麻を吸っているときの自分が本当の自分であり、シラフの世界はつまらない副次的なものと捉えていきます。

大麻の問題点

私が考える大麻の問題点は上記のような「薬が作り出す世界に依存してしまうこと」と「そういう人をいとも簡単に量産できてしまうこと」にあります。

大麻の魅力の前では、多くの人が負けてしまいます。
大麻の多幸感を一度でも経験してしまうと、忘れられなくなります。

ハードドラッグと異なり肉体的依存性が少ないとされていますが、心では多幸感をずっと覚えています。
もし容易に入手できる環境であれば、どんな人間でも堕ち続けてしまいます。

これは大麻に限らず薬物全般に通じる話なので、特筆すべきことはありません。
米国でオピオイド中毒が社会問題であるように、薬物によって得られる快感を自ら断絶できる人間は多くありません。

最悪の状態になった時にその状態をメタ認知できるか

私は欧州駐在を終えるタイミングで大麻を辞めました。
物理的な環境変更でリセットされた形です。
しかし、シビアな言い方をすれば、今は「家族との幸せ」が「大麻の多幸感」より優っている状態にすぎず、今後このバランスが変化しないという保証はありません。

「節度を持って大麻と付き合う」というのは、多くの人にとって実現困難と思います。
大麻は0か100のどちらか」と私は思います。

大麻を一度経験し、その非日常的な体験をしまった場合、もう一度経験したいと思ってしまいます。
大麻の入手障壁が低ければ、容易に最後まで行き着きます。
そうなった際に、自身の状態を客観的に異常と認知して回復できるか、またはそこでの精神世界こそ本物と捉えてシラフの世界が副次的なものになるのか。

私のように強制リセットのタイミングがあればよいですが、そう都合よくは行かないと思います。

最後に

自身の経験に基づく考察を記しましたが、様々な反論はあると思います。(大袈裟だ、snoopは大麻吸いながらすごい曲作っている、そんな危険なら欧米社会崩壊してるはず等)

確かに、大麻を摂取しながらも多能工をこなせる人もいます。
また、私が住んでいた欧州では、個人使用目的の大麻所持は違法ながらも罰則に問われない国がいくつかありますが、薬害は社会的に認知され、その上で自らの責任で選択する位置付けとなっています。
表立って使用を推奨するような動きはなく、社会的に封じ込める力の方が強いです。

個々のケースをあげれば、うまいこと付き合う方法はあるかと思います。
しかしながら、マスで捉えた場合、うまくやれる人より、薬の世界に飲み込まれて今の社会生活を維持することが困難になる人が大多数と私は考えます。

これまで一生懸命生きてきた人が、大麻がきっかけで社会からドロップアウトしてしまうのは可哀想に思います。

そうならないためにも、大麻のリスクを理解し、手を出さないことをお勧めします。

クリスチャニアレリーフ

おしまい