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大麻経験者が大麻の危険性を伝えるブログ

大麻に手を出してはいけない

大麻により日大アメフト部が廃部となり、肯定・否定意見が見られます。また、大麻グミが社会問題となっています。
その中で私が気になるものとして、「大麻は安全」という論調があります。
大麻常習者だった私の意見としては、「大麻は非常に危険」であり、日本国における扱いを緩和することに強く反対の考えを持っています。

一度大麻に手を出して、そこで得られる多幸感を経験してしまうと、次を欲します。
大麻が容易に入手できる環境であれば、大麻中心の生活になっていくのに時間はかかりません。

自身の体験に基づき、なぜ大麻に手を出してはいけないと考えるのかについて記したいと思います。

私と大麻

いずれ回顧録を記したいと思いますが、簡単に述べると、仕事で欧州に住んでいた時にアムステルダムのコーヒーショップで大麻を経験して魅了され、常習するようになり、やがて大麻中心の生活となり、日本への帰国という環境変化を期に辞めました。

大麻の効能

一般的に次のようなことが言われています。

  • 聴覚が敏感になり、音楽にのめり込める
  • 味覚が敏感になり、何を食べても美味しい
  • 性行為が最高に気持ち良い などなど

私の感覚としても、これらは事実です。
総じて言うと、大麻吸引により「多幸感に包まれた最高の気分」になります。

Love & Peaceな気分になる

ヒッピー文化と大麻が切り離せない理由も、大麻を体験すると即座に分かります。
まさに「Love & Peace」の気分になるのです。
大麻を経験するまでは「Love & Peaceなどという抽象概念は愚昧」と考えていましたが、経験後は、大麻から得られる多幸感や落ち着きをうまく表現した言葉であることがわかりました。

ここらへんをいくら言葉で説明しても、概念と実体験に大幅なギャップがあるので、理解は難しいことと思います。
スカイダイビングの醍醐味をいくら緻密に説明できたとしても、実体験をしていない相手に追体験させることはできません。

もし体験談に興味がある方は、「マリファナ青春旅行」が文学としてもお面白いのでおすすめです。
ただ、これら体験者の言葉に興味を持つこと自体が、大麻の入り口に立っていることのメタ認知が必要と思います。

素晴らしい体験と捉える

私も使用当初は「なんて素晴らしい体験なんだ」、「こんなすごい体験は他の何事でも得られない」、「こんな体験を知らない人生は損だ」と思い、「誰しも一度は体験してその素晴らしさを知るべきだ」と思っていました。

そこまで素晴らしいと思うということは、やめられなくなることを意味します。
もし、上記効能の通り素晴らしい要素だけならば、あえてやめる必要はないでしょう。

しかしながら、上記効能は良い面だけを記したものです。
「個人の社会性に与える影響」という観点で捉えた場合、大麻のネガティブ面が勝ります。

効能の実態

普段は理性を中心とした精神領域が常時活動し、身体的機能の監視及びコントールを行っていますが、大麻摂取によりそれら機能が低下します。
そのため、視覚、聴覚、味覚などの身体的感覚が鋭くなったと感じます。

正常時のように身の回り全てに意識を払うことができなくなり、特定の意識への集中型となります。
例えば食事においては、味わうことに全身全霊が集中します。
そのため、とてつもなく美味しく感じます。いわゆるマンチー状態です。

肯定表現であれば「過集中を通じて物事にのめり込むことができる」と言えます。
この状態になることは、悪いこととは思いません。

私が問題と感じる点は、大麻摂取により、これまで当然のようにこなしてきた社会的活動を維持することが困難となる点です。

仕事との両立は困難となる

社会人を例とした場合、社会的活動の大部分は仕事となります。
その仕事において、大麻を摂取した状態での業務遂行が困難となります。

自分自身の行動に対するメタ認知ができなくなり、自分が何をしているのかわからなくなります。
また、時間の流れが掴めなくなるため、複数のプロセスを伴う作業が困難になります。

単能工は業務遂行できる可能性はあると思いますが、多能工ではほぼ不可能となります。
ブルー/ホワイト関係なく、現在多くの日本人が従事している労働の大部分は多能工的要素を含みます。
そのため、大麻を摂取した状態では、多くの人々にとって業務遂行が困難となります。

レクリエーション利用でも社会性が失われていく

上記の通り、労働の性質と大麻の効能は合いません。
そのため、労働による対価を収入源とする多くの人々にとっては、大麻はレクリエーションの位置付けになります。

しかしながら、息抜きのつもりで始めたものが、その多大なる魅力により、仕事以外の時間は全て大麻を吸って過ごすようになります。
その結果、仕事以外の時間は知的生産・消費活動が困難となり、退廃的な生活スタイルへと移行していきます。

端的に述べれば、「味の濃いものを食べながら、youtubeを延々と見続けて、最後はオナニーして寝るだけの生活」になります。 そして仕事もサボるようになります。

文字面だけ見ると「そんなの普通じゃん!」と思われるかもしれませんが、状況に対する肯定感が異なります。
収入を得るだけの仕事はなんとかこなし、それ以外の時間は全て大麻を吸って現実逃避となるのです。
側から見れば現実逃避なのですが、本人はそう思いません。
大麻を吸っているときの自分が本当の自分であり、シラフの世界はつまらない副次的なものと捉えていきます。

大麻の問題点

私が考える大麻の問題点は上記のような「薬が作り出す世界に依存してしまうこと」と「そういう人をいとも簡単に量産できてしまうこと」にあります。

大麻の魅力の前では、多くの人が負けてしまいます。
大麻の多幸感を一度でも経験してしまうと、忘れられなくなります。

ハードドラッグと異なり肉体的依存性が少ないとされていますが、心では多幸感をずっと覚えています。
もし容易に入手できる環境であれば、どんな人間でも堕ち続けてしまいます。

これは大麻に限らず薬物全般に通じる話なので、特筆すべきことはありません。
米国でオピオイド中毒が社会問題であるように、薬物によって得られる快感を自ら断絶できる人間は多くありません。

最悪の状態になった時にその状態をメタ認知できるか

私は欧州駐在を終えるタイミングで大麻を辞めました。
物理的な環境変更でリセットされた形です。
しかし、シビアな言い方をすれば、今は「家族との幸せ」が「大麻の多幸感」より優っている状態にすぎず、今後このバランスが変化しないという保証はありません。

「節度を持って大麻と付き合う」というのは、多くの人にとって実現困難と思います。
大麻は0か100のどちらか」と私は思います。

大麻を一度経験し、その非日常的な体験をしまった場合、もう一度経験したいと思ってしまいます。
大麻の入手障壁が低ければ、容易に最後まで行き着きます。
そうなった際に、自身の状態を客観的に異常と認知して回復できるか、またはそこでの精神世界こそ本物と捉えてシラフの世界が副次的なものになるのか。

私のように強制リセットのタイミングがあればよいですが、そう都合よくは行かないと思います。

最後に

自身の経験に基づく考察を記しましたが、様々な反論はあると思います。(大袈裟だ、snoopは大麻吸いながらすごい曲作っている、そんな危険なら欧米社会崩壊してるはず等)

確かに、大麻を摂取しながらも多能工をこなせる人もいます。
また、私が住んでいた欧州では、個人使用目的の大麻所持は違法ながらも罰則に問われない国がいくつかありますが、薬害は社会的に認知され、その上で自らの責任で選択する位置付けとなっています。
表立って使用を推奨するような動きはなく、社会的に封じ込める力の方が強いです。

個々のケースをあげれば、うまいこと付き合う方法はあるかと思います。
しかしながら、マスで捉えた場合、うまくやれる人より、薬の世界に飲み込まれて今の社会生活を維持することが困難になる人が大多数と私は考えます。

これまで一生懸命生きてきた人が、大麻がきっかけで社会からドロップアウトしてしまうのは可哀想に思います。

そうならないためにも、大麻のリスクを理解し、手を出さないことをお勧めします。

クリスチャニアレリーフ

おしまい